China and the Modern World: Hong Kong, Britain, and China Part II: 1965-1993
中国近現代史シリーズ 第7集は「香港編 第2部」として英国国立公文書館が所蔵する外務・英連邦省ファイル FCO 40「香港局:登録ファイル、香港、英領ホンジュラス、インド洋英領地域とセーシェル諸島 Commonwealth Office and Foreign and Commonwealth Office: Hong Kong Departments: Registered Files, Hong Kong, British Honduras, British Indian Ocean Territories and the Seychelles (HW and HK Series)」とFCO 21「極東局:登録ファイル Foreign Office and Foreign and Commonwealth Office: Far Eastern Department: Registered Files (F and FE Series)」から、1965年から1993年までの香港関係の機密解除文書約40万ページを提供します。収録文書のほとんどは(ファイル数で98%以上)FCO 40 の文書です。また第4集の香港編 第1部と同様に手書文字認識(Handwritten Text Recognition, HTR)を適用、筆記体などによる手書き文書も含めたフルテキスト検索を可能にしています。
収録文書は香港並びに香港と周辺地域(中国本土や台湾、日本等の東アジア地域)や英国、米国との関係を扱うものです。カバーする時代は約150年にわたる香港の英領植民地時代の末期に相当しますが、1972年には香港の法的地位が直轄植民地(Crown Colony)から属領(Dependent Territory)にかわり、1980年代初頭には返還後の香港に関する英中間の協議が始まるなど、すでにこの時代に政治家や政府高官の間では返還後の香港が視野に収められていました。その意味で収録文書は20世紀後半の植民地香港を記録するとともに、21世紀の香港問題の起源を明らかにする一次資料でもあります。加えて、ベトナム戦争、文化大革命、中国の改革開放、台湾海峡での緊張等、20世紀後半の冷戦後期における香港と東アジア情勢の資料としても貴重なものです。FCO 40 は1965年から1993年を、FCO 21 は1967年から1993年をカバーします。
なお、香港編 第1部(1841-1951)と今回の第2部(1965-1993)の間にあたる、1950年代から1960年代前半にかけての香港関係の植民地省ファイル CO 1030「極東局と後継機関:登録ファイル Colonial Office and Commonwealth Office: Far Eastern Department and successors: Registered Files (FED Series)」と CO 1023「香港と太平洋局文書 Colonial Office: Hong Kong and Pacific Department: Original Correspondence」は英国旧植民地省アジア関係文書 第1集:東アジア、香港、威海衛に収録されています。
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《解説エッセイ(英文)》Hong
Hong Kong: From a British Colony to a Global Chinese City
By Chi-kwan Mark 麦志坤, Senior Lecturer in International History, Royal Holloway, University of London
An Introduction to Hong Kong, Britain, and China, Part II: 1965-1993
By David Clayton, Department of History, University of Yorkg:
When the Time is Ripe: Hong Kong’s Future
By Tai-lok Lui, Professor of Hong Kong Studies, The Education University of Hong Kong
Corruption and Reforms in Colonial Hong Kong
By Florence Mok, Nanyang Assistant Professor of History, Nanyang Technological University, Singapore
《香港関係 英国政府文書の3アーカイブ 紹介ウェビナー録画を見る》
(中国近現代史シリーズ:香港編 第1部・第2部、そして英国旧植民地省アジア関係文書 第1集:東アジア、香港、威海衛編を合わせて紹介するウェビナーです。約41分、字幕・チャプターあり・スライドはこちらから)
From a British Colony to a Global Chinese City Hong Kong: From a British Colony to a Global Chinese City
《20世紀後半 香港小史》
1960年代後半に世界各国で発生した学生や労働者による抗議運動の波は香港にも押し寄せました。1966年にフェリーの運賃値上げに反対するデモ隊が警察と衝突し、1人の若者が命を落としました。翌年、労働争議に端を発して発生したデモは大規模な抗議運動に発展、折しも中国で始まっていた文化大革命の影響を受けた若者や労働者が過激な行動に走り、反植民地闘争の様相を呈するに至ります。6カ月間断続的に続いた暴動は50人以上の死者と1,000人以上の負傷者を出す大惨事となりました。中国政府は香港の抗議運動を支持したに止まらず、香港政府が新華社通信香港支局の局員を逮捕したことに対する報復措置として、ロイター社の北京駐在英国人特派員を自宅軟禁措置に置くなど、香港暴動は局地的な紛争を超えて、英中関係を揺るがす事態に発展しました。
1960年代の暴動の背景には劣悪な住宅、医療、教育等の社会インフラに対する民衆の不満がありました。1970年代前半に香港総督に就任したマレー・マクルホースは公共投資を増大し、住宅、医療、教育の水準を上げることに努めました。また、中国本土からの不法移民に対して合法的な滞在許可証を発行するタッチベース政策を採用し、非熟練労働者に対する需給ギャップの解消に努めました。しかし、中国からの移民が住宅や医療の供給を圧迫するとの世論の高まりや香港経済の知識経済化や金融化を推進する政府の政策を受け、タッチベース政策は1980年に廃止されます。
返還を控えた香港の将来を巡る政治的動きは1970年代初頭に始まります。国連に加盟した1972年、中国は香港を植民地から除外するよう国連に要求、香港の法的地位は英国の直轄植民地から属領に変更されました。英国は返還期限の延長や中国の主権を認めつつ行政権を英国に残す案を中国に提示するも、一国二制度を主張する中国政府の拒否に遭います。元々台湾統一のための方法として唱えた一国二制度の理念は本土、香港、台湾の統一を悲願とする中国にとって譲ることが出来ない原則でした。1982年から1984年までの英中間の交渉を経て、最終的には一国二制度の原則を骨子とする共同宣言がサッチャー首相と鄧小平の間で署名され、香港は1997年7月1日に中国に返還され、国防と外交を除く高度の自治を保障された特別行政区として中国の主権下に置かれることが合意されました。
英国政府にとっては防戦一方に終った交渉のように見えますが、既に1968年にスエズ運河以東からの英軍の撤退を表明し、経済的には香港への投資が減少する一方で、ECへの加盟申請をする状況の中で、香港はもはや英国の経済的資産ではないと1967年に大蔵省が表明するなど、脱植民地化の流れは止めることができないとの判断が英国政府の側にはありました。返還後も50年間は経済・社会制度は変更されないとされたことを受けて、香港政府は立法会の民主化を進める方向を打ち出します。その一方で、中国政府は返還後の憲法に相当する香港基本法を制定します。一国二制度の原則に沿う形での制定と中国側は主張するものの、草案作成の過程で共同声明との整合性に英国政府が疑問を呈するなど、将来に禍根を残すこととなりました。
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関連分野
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